俺哲学
提供: kimoto's wiki
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生物はなぜ子孫を残そうとするのか
子孫を残そうとしなかった生物は、すでにみな死に絶えただけであり、子孫を残そうとしなかった生物もいた。現在存在しているのは子孫を残そうとしている生物だけである。つまりこの問いに対する答えはなく、いえいえ別に残そうとしない奴らも居ましたよ、が正しい。結果的に今残っているのは子孫を残そうとしている側だけであるというだけ。
生物はなぜ苦しみながらも生きようとするのか
おそらく上記理由に関連したもので、死に近づく状況に壮絶な苦しみを感じない生物もいたがそいつらは死に絶えた。現存している生物は死に多大な恐れや苦しみを感じるからこそ現存できているのではないか、と。
生物が生きる理由は何か
この問いへの答えはない。わからない、と回答をする。今現在生物が現存している理由は子孫を残そう、増えようとした生物が居たためである。しかし過去に死んでいった生物もいるし、増えようとしなかった生物も存在していたはずである。つまり生物の生きる目的は増えたり子孫を残すことではない、これは明確である。しかしこう考えてみる、今現在子孫を残そうとしている生物は何が目的か
子孫を残そうとしている生物は何が目的か
目的があるとすれば、まさに今子孫を増やそうと、残そうとしている自分自身がその目的をしっているはずである。しかし頭の中にそれはない。つまり目的自体が存在していない。目的もなく増えているが答えである。しかしそこになんらか意義を加える事ができる知性というものを獲得している。だからそこに意義を加える、生物が生きる理由というのは、その生物のひとつである、俺自身が決めるための余地なのではないか。(宗教的な話に移行しはじめる) つまり目的を決めるために生きていると定義することが出来るのだ、しかしそうしない自由もある、何をしても良い。そこで俺はどうしたら良いか、俺自身で決めることだ、俺は生きることに目的を設定することにした、そしてそれを達成すべく行動をすることにした。自分の信念を実現することを俺自身が生きる目的とすることにした。生物が生きる理由は存在していないが、俺という個体はそこに目的を定義することに成功した。